小布施と長野市を歩いて考えた、景観についてのあれこれ

長野に旅行にきています。
主な目的地は今月末で廃止になる、長野電鉄屋代線に乗ること。
マナビノタネという会社が企画した「さよならカフェトレイン」というツアー
で地元の料理を食べ尽つつ、ワインを飲みつつの楽しい3時間の旅でした。
http://ecomu.info/index.html

その後は小布施に観光、小布施のメイン観光エリアは元々あった蔵や旧家を補修や移動をしたことで非常に魅力的な風景が点在する。小道や茅葺屋根、蔵に現代家屋が溶け込んでいて見ていて楽しい。

長野市内に向かう電車を途中下車して、繁華街の権堂のアーケードを歩いた。日が暮れてから行ったせいもあるが、どことなく暗い。
実際アーケードから一歩でも脇道に出ると真っ暗、その先には真っ暗な住宅街かネオンの群が見える。目立つのは、カラオケやクラブといった若者向けの店か高齢者向の薬の広告が出た薬屋だ。


地方の衰退と言われ始めて数十年、同じ長野県内で小布施のまとう雰囲気と長野市内のまとう雰囲気の違いは何なんだ。単純に比較できるものではないことは重々承知しているが。

  一言でいうと、街並みがメッセージ性を持っているか否かが両者を分けている。
小布施の中心地は、商店も博物館も住宅もある。それを市と住民が中心になって景観を保つようにしている。その統一された景色が「北斎も愛した、伝統ある地域」というイメージを体現している
ように感じる。市内は、古い仏閣の横がビル、新しいビルの間にテナントの空いたボロいビル。
なんというか、「ここが長野だ」と感じられるものがなかった。伝統なのか中心地としての活気なのか。別の県の地方都市と言われても気づかないのではと思った。

もちろん、善光寺があることは知ってますよ。善光寺があるから長野市だと言えるかもしれない。でも、参道から脇道にそれたらわからなくなる。

単純に私の中のイメージと現実が一致していないかもしれなが、イメージを体現している小都市が生き残り、何県だかわからない中都市が衰退していくのかもしれない。街並みを見て考えた。

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