小布施と長野市で考えた景観についてのあれこれ その2

今日は旅行の最終日、長野市内を散策しました。
目的地は善光寺七福神めぐり。七福神それぞれの像がまつられている神社やお店を、駅から参道まで散策しながら歩くウォークラリーだ。

昨日の日記に書いた歓楽街の権堂までは「どこにでもある」風景が続いたが、善光寺のある大門町から風景が変わった。最近の建物が昔の蔵のような外装をしていている。統一感の取れた街並みが旅の情緒を感じさせた。

時間が少し戻って昨日、小布施の岩松院という所に行きました。
小布施の街の中でも一番奥の観光名所、そこに行きたかったのは、ある絵を見たかったから。葛飾北斎が天井絵に書いた鳳凰の図である。
http://www.gansho-in.or.jp/happounirami.htm
大きさはもちろん、今にも動きだしそうな構図、鮮やかな色彩、160年前に書かれたとは思えない素晴らしいかった。私が、世界で一番美しい絵だと思っている。

私が北斎を素晴しいと思うのは、一つ一つの部分に意味があって、その部品同士が調和して絵を作っている点である。絵は、くっきり書かれた図鑑の挿絵に近い。観察眼と構成力が合わさって高いレベルの芸術を作っている。
余談だが、高井鴻山記念館に行くと、北斎が鴻山に絵を教えるために書いたという下書きがのこっている。その絵は直線でくっきり書かれ各所にコメントがついている。まるで、理科の観察スケッチのような絵である。

私が、長野の街並みに感じたものは同じ価値観から来ているのかもしれない。つまり、1つ1つの部分に統一感がなくバラバラに感じられる。昨日感じた「どこにでもある風景」は言い換えると「ちぐはぐでどこだかわからない風景」と言える。「どこにでもある」「ちぐはぐな」風景は東京で見慣れている。観察すること、物の裏にある意味を考えることがクセの私でなくても、統一感のある景色を見て
いい気持ちになることには共感いただけるのでは。

もちろん、街並みについての感じ方は差があると思う。例えば、和風建築に混じって古い建物西洋建築があっても違和感を感じる人と感じない人がいると思う。シカゴのど真ん中に、日本の土蔵があったらかなりの違和感だろう。感覚は時代とともに変わる。ただ、「古い」・「新しい」関係なく、景観の部品とて馴染むかはどうかということは、広く意見を共有できるのではないか。

長野市には、せめて長野駅から善光寺までの間の参道を、見ていて気持ちいい統一感のある街並にして欲しいと思った。目線の高さだけでも、看板を外したり、外装を変えたりする。そうすれば、もっと魅力的な街になるのにな。希望は違えど、小布施はそれに成功して、観光客を魅了しています。

最後に言っておくと、出会う人はとても良かったです。
とても、楽しかった旅行でした。

小布施 まちづくりの奇跡 (新潮新書)

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