私たちは「逢魔が時」を生きている。
こんにちは。
今日は夜から夜勤にいきます。
十分睡眠をとったはずなのに眠い。というかだるい。
自分の調子を整えるため軽く運動をして、自習室に行きます。
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今日も五木寛之著『新・幸福論』を読んだ感想を書きます。
彼は、私たちは「逢魔が時」を生きていると言います。
それは、黄昏時のことを指しています。昼でもない、夜でもない。
日は暮れている。どちらでもない境目の時間は魔物が現れる。
禍いの訪れる時間を昔の人は「逢魔が時」や「大禍時」と名付けました。
決して幸福ではない。それほど不幸というわけでもない。
その間をぼんやり過ごしていると「ぼんやりとした不安」にとりつかれる。
その「ぼんやりとした不安」が、人に「生」と「死」の間を乗り越えさせてしまう。
今の私が感じている感覚に近いと思った。いつも感じているわけではいけれど。
もう子どもでもない。さりとて、大人にもなれてない。
新入社員ではない。ベテランでもない。
そんな時にふと、時間ができると「ぼんやりとした不安」がわき上がる。
30代、40代のサラリーマンで自殺する人が多いのも「逢魔が時」つまり、
若手でもない、役員でもリーダでもない時だからかもしれにあ。
そんな時に「漠然とした不安」に取り憑かれるのかもしれません。
「ぼんやりと感じる不安」私にはあります。
五木さんほど上手に言葉にできないけれど、あります。
あなたにもある気持ちが私にもあります。
本によると「逢魔が時」に続く時代を、昔は「末世」と言ったそうです。
私は詳しくないですが『方丈記』や『明月記』に書かれた世界が「末世」だそうです。
明るい未来を生きると同時に、末世を生きる自分も想像しておきたいものです。
あぁ、彼に出会わなければ、人生について深く考えることもなかったのに。
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